あらすじ

かつて沖縄諸島を統一した琉球王国の文化風習。今の沖縄や台湾、福建などのアジア諸国に共通して広がる、独特の文化と信仰の起源 かつて沖縄全土を統一していたと伝わる琉球王国は、御嶽(うたき)という聖地において神女(ノロ)という祭司が儀式を行なう風習がありました。それは、今の沖縄本島にある今帰仁(なきじん)に痕跡を宿し、沖縄諸島のひとつ久米島などに残っています。とくに久米島の琉球の君南風(チンベエ)は、神女組織の三十三君の中の最後のひとりといわれ、今も雨乞いの儀式などを行います。琉球王国成立前から続く、この風習はどこから来たのでしょう。沖縄では昔から女性が信仰をつかさどり、明治時代より前には「ハジチ」という美しい模様をその手に描く風習がありました。今、沖縄ではすっかり廃れてしまいましたが、この風習は台湾原住民の中にも見られ、たとえばパイワン族には手に太陽の紋の模様を残し、集落の代表であった高齢女性がいます。このような、体に模様を描く文化は南太平洋の島々に広がっており、ラピタ人やポリネシア人と呼ばれた民族に共通していたと考えられています。航海技術に長けた彼らは「海の民族」といわれますが、その発祥は台湾近郊といわれます。DNAの分析によると、中央アジア北部の人々が台湾近郊の原住民となったそうです。この地域にいた人々は今の中国・福建省周辺と共通の民族で、閩越(ビンエツ)の閩人と呼ばれます。この閩人が明の皇帝の命令で琉球へ派遣され、今の沖縄本島の久米村に移住し、職能集団として定着しました。現在も那覇市の久米村には、閩人(久米)三十六姓の末えいとされる人々がいて、中国の航海の神である媽祖などを祀る廟を大切にしています。このように、現在の沖縄に宿る文化風習の起源を探ると、沖縄諸島のみならず中国東南部や台湾といった地域と密接なつながりがあったことがわかります。また古文書をひもとけば、日本でも有名な「魏志倭人伝」などには彼らに共通する文化風習が記されています。日本のはじまりである倭国や、そこにあった邪馬台国などとの驚くべきつながりが見えてきます。この「海の民族」が紡いだ信仰と文化の世界を、琉球から沖縄へとつながる歴史を交え、中國紀行CKRM的視点で紹介します。

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