あらすじ
八年前の夏、京都の名門大学・南洛大学で、ある青年が姿を消した。
彼の名は香月慧(かづき けい)。ホラー・オカルト愛好会に入会して間もない新入生であり、歓迎イベントとして行われた“肝試し”の最中に、サークルの一行とともに訪れた洞窟──通称「鬼ノ淵(おにのふち)」で、地底湖に泳ぎ出たまま戻らなかった。
事故として処理されたその失踪事件は、やがて世間の記憶からも薄れていく。
だが、妹である香月雫(しずく)だけは、その“違和感”を忘れられずにいた。
兄は泳ぎが得意ではなかった。なぜ暗く冷たい地底湖に、進んで身を投じるような真似をしたのか。しかも、失踪前日に投函されていた濡れた走り書き──
「湖の底から、何かが俺を呼んでいる」
まるで予兆のようなその言葉に、雫は「何か」があったと直感していた。
八年の歳月を経て、雫は一人の探偵の元を訪れる。
彼の名は真神怜司(まがみ れいじ)。三十代半ばの男で、表向きは地味な調査事務所を営む探偵だが、裏では“見えぬもの”をも追う霊能者としても知られている人物だった。
しかし、今回の依頼において怜司が着目したのは、霊的な要素ではなかった。むしろ、より現実的で生々しい“人の悪意”だった。
調査を進めるうちに明らかになる、かつてのサークル内の人間関係。
そこには恋愛と嫉妬、支配と服従、若さゆえの軽薄な残酷さが渦巻いていた。
当時、香月慧が好意を寄せていた女子学生は、サークルの上級生──特にリーダー格の男と密かに関係を持っていた。そして慧の存在は、次第に“邪魔なもの”として扱われていったという噂も浮上する。
“肝試し”という名の行事は、ただの娯楽だったのか。
それとも、もっと意図的な“処分”だったのか。
そして、地底湖で何が行われたのか──。
水の底に広がるのは、怪異でも神秘でもない。
人が人を呑み込んで隠してしまった、“罪と沈黙”である。
真神怜司は、封印された八年前の真実に踏み込み、証言と記憶の綻びから真相を暴いてゆく。
その先に浮かび上がるのは、たった一人の死をめぐる、若者たちの歪んだ絆と、その代償。
やがて怜司は、地底湖の底に“何もない”ことこそが、最大の恐怖であると知ることになる──。