あらすじ
「セリーヌ・ダウェル。お前との婚約は破棄する!」
華やかな夜会の中央で、婚約者ユルゲンが叫んだ。罪状は「忘れ井戸に彼の誓約鍵を投げ捨てた」こと――誓いを破った者の鍵が沈む、古い魔法の井戸。契約魔法への冒涜とされる大罪だ。
しかし糾弾された令嬢セリーヌは、腰の革鞄から一冊の帳簿を取り出した。
「――では、記録簿を確認させていただきます」
彼女は王国水源管理局・忘れ井戸管理課の職員。そして前世は、日本の市役所水道局で漏水調査を担当していた水道局員だった。六歳で前世を思い出して以来、十二年間ただの一日も欠かさず、水位・日付・天気を記録し続けてきた。
三日前の頁に記されていたのは、降雨も流入もないのに〇・三リン上昇した水位。鍵一本ぶんの、動かぬ変動。
「水は嘘をつかない」
帳簿も嘘をつかない。嘘をつくのは、人間だけ。
翌朝六時、彼女はいつも通り井戸の蓋を開ける。七十二歳の爺さんと、豆を数えてスープをよそう庶務のおばさんと、半分剥げた看板の小さな職場で。
やがて十五年ぶりの「底ざらい」が始まり、忘れ井戸の底から十二年分の沈んだ鍵が引き上げられたとき――誰が、何を、いつ捨てたのかが、静かに明らかになっていく。
声の大きい者が正しい社交界に、淡々と数字を積み上げる元水道局員が挑む、痛快にして温かな記録簿ざまぁ譚。
「水は待ってくれませんから」