あらすじ
人が亡くなる直前の七十二時間、生体端末に記録された音声と視界を精査し、遺族へ引き渡す公的機関——『終末記録監査庁』。
その第三監査室で働く澄川湊(すみかわ・みなと/二十九歳)の仕事は、死者が遺した言葉から「遺族の精神的健康を著しく害するノイズ」を規定に従って監査することだ。
手取りは二十四万八千円。毎日、誰かの最期の息遣いを聴いて暮らしている。
世間は、死者が最期に愛と感謝を遺すと信じている。
けれど湊が防音ブースで聴くのは、そんな美しい言葉ばかりではない。
「四十年、お前の笑顔がずっと怖かった」
「遺産は一円もやるな」
「頼られるだけの人生に、もう疲れた」
生きていた頃には言えなかった死者の「静かな本音」と、美しい思い出だけを受け取って救われたい遺族の「一部削除申請」。
さらに湊の机の引き出しには、三年前に急逝した婚約者・白石遥の『未監査レコード』が、一度も再生されないまま眠っていた。
そんなある日、SNSフォロワー四百万人を抱え、「現代の聖者」と崇められた慈善事業家・久我山誠一が急死する。
政府と世論が「最期の慈愛の言葉」の全国中継を求める中、担当監査官に指名された湊は、久我山の死の二分前に記録された「たった十七文字の本音」を聴いてしまう。
「死者の尊厳」か、「生者の救済」か。
ひとりの監査官が選ぶ「消さない」という決断が、家族、恋人、友人、そして四百万人の正義を静かに狂わせていく。