あらすじ
昭和十七年、戦時下の筑紫の村。大工の家に生まれた十六歳の正一は、出征したまま戻らない兄の代わりに家業を継ぎ、いずれは兵士として国に尽くすことを父から期待されていた。一方、同じ年頃のお雪は、村の信仰と因習によって「不浄の娘」と疎まれ、周囲の大人たちの身勝手な規範に苦しんでいた。
十六詣りの日、二人は御笠山へ登る。泥に足を取られ、傷つきながら進む山道は、村の掟や国家の要求から離れ、自分自身の生と向き合う場となる。父から渡された樫の杖は、正一にとって家の務めを背負う象徴だったが、二人の汗や血、泥を受け止めるうちに、互いを支えるものへと変わっていく。山頂で二人は、誰かの代わりや国のための存在ではなく、自分自身として生きたいと願う。
しかし村へ戻れば、正一は将来の兵士として称賛され、父からは大工修業を命じられる。やがて正一は南方の戦地へ送られるが、戦争を生き延びて故郷に帰還する。戦時中の熱狂が消えた村で、老いた父と再会した正一は、かつての樫の杖を切り、抱き合う二人の人間が大地に根を張る姿を木彫に刻む。
お雪は、あの日、山で命を絶つつもりだったことを明かす。正一が差し伸べた手と自分を呼ぶ声が、彼女をこの世につなぎ止めたのだった。二人は互いに救われたことを確かめ合い、これからは人を傷つけるためでなく、人の暮らしを支えるために手を使おうと誓う。
国家や共同体の論理に個人の生が押し潰される時代を背景に、因習と戦争に翻弄された若者たちが、互いを支えながら生き直す姿を描く物語である。