あらすじ
二〇二〇年二月。
横浜港に停泊するダイヤモンド・プリンセス号。連日報道される感染者数。目に見えないウイルスへの恐怖は、少しずつ人々の日常を変えていった。
マスクを着けること。手を洗うこと。人との距離を取ること。
誰もが不安だった。自分が感染することも、大切な人にうつしてしまうことも。
やがてワクチン接種が始まる。
接種する人。迷う人。情報を集めて考えたい人。それぞれに事情があり、それぞれに思いがあったはずだった。
水野真帆、三十四歳。
彼女は、自分なりに考えた末、ワクチンを接種しないという選択をする。
ところが、職場でそのことを口にした途端、周囲の空気が変わった。
「えっ。真帆、まだ打ってないの?」
「みんな打つのに、打たないの?」
そして、投げかけられる言葉。
「周りに感染させたら、どうするの?」
心配しているだけ。あなたのためを思っているだけ。みんなが協力しているのだから。
悪意があるとは限らない。むしろ、相手を大切に思う気持ちから出た言葉なのかもしれない。
それでも真帆は、問いかけずにはいられなかった。
**なぜ、疑問を持つことまで許されないのだろう。**
疑うことと、否定することは違う。
質問することと、誰かを攻撃することも違う。
それなのに、周囲と違う選択をしただけで、まるで無責任な人間であるかのように見られてしまう。
職場では、上司の「皆さん、ご協力をお願いします」という言葉が、誰も明言していない圧力となって広がっていく。疑問を感じながらも黙っている同僚。善意から真帆を説得しようとする友人。そして、いつの間にか「みんな」という言葉の中に隠れてしまった、一人ひとりの本音。
誰かが決めた正しさに従うことは、本当に正しいのか。
多数派であることは、正しさの証明になるのか。
そして、自分と違う選択をした人を、私たちはどこまで尊重できるのだろうか。
これは、ワクチンを打つ人と打たない人の、単純な対立を描く物語ではない。
不安の中で誰もが正解を求めた時代に、**「みんなと同じであること」が、いつしか「正しいこと」と同じ意味になっていく怖さ**を描く物語である。
あの頃、私たちは何を恐れていたのだろう。
ウイルスだったのか。
それとも――みんなと違う人になることだったのか。