あらすじ
結婚して五年。夫の久世崇人には、口癖があった。
「病院の決まりは、誰のためでも曲げられない」
父が心不全で月丘中央医療センターに運ばれたときも、そうだった。
心臓内科に空きはなく、救急の医師が転院先を探していた。私は外科の副部長を務める崇人に、せめて専門の先生に相談してほしいと頼んだ。
「琴音、そういうのは担当の先生に任せよう。身内だからって、特別扱いはできないよ」
父は救急の観察室で三日間、治療を受けながら転院を待った。けれど、受け入れ先が決まる前に容体が急変し、そのまま帰らぬ人となった。
私は、崇人が誰に対しても厳格な人なのだと思っていた。
ところが今日、妊娠を知らせようと病院を訪れた私は、特別個室のある病棟で足を止めた。
崇人がストレッチャーを押している。
横たわっていたのは、彼の昔の恋人、相沢奈緒の母親だった。
奈緒が崇人に抱きつく。
「崇人、ありがとう。お母さんの部屋まで取ってくれて……」
崇人はその肩を優しく叩いた。
「いいって。富美子さんのことだし、放っておけないだろ」
私は二人に気づかれないよう、廊下の端まで歩いた。
手にしていた検査結果には、妊娠八週と書かれている。
崇人に見せたくて、わざわざ持ってきた紙だった。
私はそれを折り畳み、ごみ箱に捨てた。