あらすじ
帝政歴327年11月25日――。
帝国に生まれた少年、レイブン。
帝国軍人である父ヴァルターと母のもと、彼はごく普通の少年として幼少期を過ごしていた。
軍服を着て家を出る父。
玄関に響く軍靴の音。
帰宅した父から漂う、油と火薬の匂い。
幼いレイブンにとって「軍」とは、まだ父の背中に結びついた遠い世界にすぎなかった。
だが、世界は静かに変わり始める。
帝国と連邦共和国の緊張。
そして、この世界とは異なる世界へ通じる謎の《異界門》。
軍による異界調査が本格化するなか、ヴァルターにも門の向こうへ向かう任務が下される。
父が異界門をくぐって三日。
――帰ってこない。
救出部隊が派遣されても、ヴァルターの姿はなかった。
そして三か月後。
基地に突然、一件の無線が入る。
通信の相手は、行方不明になっていたヴァルターだった。
やがて帰還した父は、利き腕を失い、全身に傷を負っていた。
それでも家族を前にした彼が最初に口にしたのは、
「待ったか?」
という、いつもと変わらない言葉だった。
帰還から十か月後、ヴァルターは帝国軍を除隊する。
少年レイブンはそんな父の背中を見ながら成長し、帝国と連邦共和国が対立を深めていく時代を生きていく。
しかし――。
今度はレイブン自身が《異界》に呑み込まれる。
故郷から姿を消し、魔法が文明の中心となった別世界へ取り残された少年。
生き延びるために戦い、傷つき、成長していくうちに、かつて父の背中を追っていた少年は、少しずつ別の存在へ変わっていく。
長い失踪を経て彼が故郷へ帰還したとき、世界はすでに第三次異界戦争の渦中にあった。
失踪者《クロウ》。
そして、戦場を駆ける《ウルフ》。
やがて人々から《黒猫》と呼ばれるようになる男。
帝国に生まれながら、運命の果てに連邦側へと至ったレイブンは、兵士として数々の戦場を経験する。
そこで出会うのが、彼と同じく長い時を生きる女性――エリシアだった。
戦友として出会った二人は、ともに戦い、ともに生き、やがて夫婦となる。
戦争が終われば日常へ戻り、日常が戦火に呑まれれば再び銃を取る。
そして第四次異界戦争。
一度は戦場を離れたレイブンは、再就役軍人として再び戦地へ向かう。
かつて父がそうしたように。
守るべき者を背後に残して。
幾度もの戦争を越えても、レイブンの人生は終わらない。
長寿者である彼とエリシアには、普通の人間とは異なる時間が流れていた。
戦友が去る。
知人が老いる。
時代が変わる。
国家さえ、その姿を変えていく。
それでも二人は生き続ける。
少年だったレイブンは青年となり、兵士となり、夫となり、そして歴史を見届ける老人となる。
父から始まった軍靴の記憶。
異界で失ったもの。
戦場で得た仲間。
エリシアと過ごした長い年月。
そして、いつか訪れる永眠。
だが、彼が眠った後にも世界は続いていく。
残された記録。
彼を知った人々の記憶。
そして歴史の中に刻まれた、《黒猫》という名。
これは英雄になるために生まれた男の物語ではない。
ただ家族と生きたかった少年が、
世界と世界の狭間を歩き、
戦争と平和を繰り返しながら、
愛する者とともに長すぎる人生を生き抜いた記録。
帝政歴327年11月25日の雪の夜から、
その永眠後までを描く――
一人の男と、二つの世界にまたがる年代記。
『黒猫年代記』。