あらすじ

「AIが作った作品は嫌い」 それ自体は、何もおかしくない。 人間が自分で書いた文章を読みたい。 作者が試行錯誤して作ったものに価値を感じる。 AI生成物には魅力を感じない。 好き嫌いに、客観的な根拠は必要ない。 しかし、 「AI作品は低品質だから嫌い」 「AI文章は冗長だから駄目」 「人間が作ったものの方が価値がある」 「AI生成物が増えると良作が埋もれる」 となると、それぞれ少しずつ違う話になってくる。 作品そのものの出来を評価する「品質」。 AI作品を見たいかどうかという「嗜好」。 誰が、どのような工程で作ったのかを重視する「出自・制作過程」。 大量生成によって作品を探しにくくなる「流通」。 これらは、すべて「AI作品」という言葉の周辺で語られるが、同じ問題ではない。 さらに、「AIっぽい文章」と呼ばれている特徴は本当にAIだけのものなのか。 一行のプロンプトで生成した文章と、人間が論旨を考え、AIとの対話を重ねながら構成・検討・推敲した文章を、同じ「AIが書いたもの」の一言で扱えるのか。 そして、書評で作品を「ゴミ」と呼ぶとき、その一語はいったい何を評価しているのか。 AIを肯定するためでも、否定するためでもない。 AI創作について語るとき、自分はいま何を批判し、何を評価しているのか。 品質・出自・嗜好・流通という四つの論点から、それを整理して考える評論。

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カクヨム
カクヨム2026/09/24
  • 現在の作品「AIだから嫌い」でいい――AI作品批判に混ざる四つの論点