あらすじ
「四足の獣の肉なんかなくても、この白と緑のおもてなしがあれば、みんな笑顔になれます」
時は江戸時代初期、寛永十二年。
徳川三代将軍・家光の治世のもと、京都では第百九代の女帝・明正天皇の御代(みよ)が、戦乱の消え去った天下を穏やかな光で包み込んでいた、ある冬のこと。
藤堂高虎によって再建されたばかりの巨大な南禅寺三門が、うっすらと雪をまとって威風堂々とそびえ立つ景色のなかで、ひとりの若きお坊さんによる、心温まる「おもてなし」の物語です
臨済宗大本山・南禅寺の厨房(典座)を任されているのは、丸顔で親しみやすい若き僧・宗純(そうじゅん)。
実は彼の正体は、京都の格式高きお公家(公卿)の四男坊。実家の権力争いから離れて出家したものの、その肉体には、幼少期に宮中の雅な食文化に触れて育った「最高峰の味覚の教養」が自然と染みついていました。
凍てつく井戸から冷たい水を汲み上げ、土製のおくどさん(竈)に薪をくべてパチパチと火を熾す。そんな丁寧な暮らしのなかで、宗純は「四足厳禁(獣肉食の禁止)」と「殺生厳禁」という厳しい戒律の限界に挑む、ある新しいお料理のひらめきを思いつきます。
土鍋に立派な昆布を贅沢に一枚敷き、大豆の甘みがぎゅっと詰まった真っ白な木綿豆腐を沈め、そのお隣に、室町時代から伝わるお寺のエース・緑色の『よもぎ生麩(なまふ)』をそっと並べる。
合わせるタレは、鰹節すら使わず、昆布と干し椎茸の精進出汁に京都ならではの「薄口醤油」を合わせた琥珀色の特製出汁醤油。これこそ、お公家育ちの宗純だからこそ生み出せた旨味でした。
しかし、お寺での食事は完全な「私語厳禁」の修行の時間。声を出すことも、器の音を立てることも許されない張り詰めた静寂のなかで、熱々の湯豆腐と生麩を口にした瞬間、薄口醤油の品の良い香ばしさと、よもぎ生麩のもちもちとした圧倒的な弾力。
誰も一言も喋らない、喋ってはいけない静寂のなかで、あまりの温かさと美味しさに、言葉の代わりに深く深く頷き合い、ぽろぽろと目から嬉し涙を流す者たち。
ただ生き物の命を奪わず、目の前の人を笑顔にするためだけに、水と火を扱い、大豆と小麦の優しさを土鍋に詰める。お公家の四男坊・宗純が贈る、世界一シンプルで、世界一高潔な「おもてなし」の日常ライフレポート。読んでいるだけでお腹が空いて、心までぽかぽかに温まる、極上の歴史ほのぼの日常系ストーリー。