あらすじ
夫婦の時間を、またひとつ義務のように終えたあと、久世玲司は私に背を向け、スマホを手に取った。仕事のメッセージを確認する指は、さっきまで私に触れていたとは思えないほど淡々と動いていた。
私はベッドの上でしばらく膝を抱えていた。それでも諦めきれず、そっと彼の肩に触れた。
「玲司、十分だけ話せない?」
返事はなかった。
「結婚して三年、あなたに言われたことはできるだけ直してきたよ。訛りも、礼儀も、笑い方も歩き方も。でも……二人きりのときまで、どうしてそんなに遠いの? キスさえしてくれないじゃない」
玲司は画面から目を上げなかった。
「紗和、明日の朝は役員会がある。今そういう話に付き合う余裕はない」
「十分も?」
「一分もない。出るならドアを閉めて」
それ以来、私はこの話を口にしなくなった。
数日後、三時間かけて煮込んだスープを持って書斎へ向かった。半開きのドアの向こうでは、新しく雇った住み込みの家政婦、相沢美羽が机の端に腰かけていた。
美羽が笑いながら玲司の手を避けると、玲司はその手首をつかみ、自分のほうへ引き寄せた。
「さっきまでの威勢はどうした?」
手から器が滑り、陶器は床に落ちて乾いた音を立てて砕けた。
玲司は私を一度見ただけで、乱れたシャツをゆっくり整えた。
「その程度で取り乱すのか。今まで何を習ってきたんだ」
視線が足元の破片へ落ちた。
「片づけて、出ていって」
いつから二人がこうなったのか、私は聞かなかった。泣きもしなかった。
ただその場にしゃがみ込み、割れた陶器を一片ずつ拾った。