あらすじ
養護教諭・安川アンナには、三十四年間、誰にも話せなかった出来事がある。大学一年の夏、ヨット部の海難事故で、思いを寄せていた大切な先輩を失ったのだ。
それ以来、アンナは危険を感じると、その先に起こる「最悪の事態」まで想像してしまう。雷が鳴れば落雷事故が、豪雨なら冠水した道路や流される生徒の姿が浮かぶ。
だから周囲が「大丈夫」と言っても、アンナだけは「ダメです。やめましょう」と止めに走る。そんなアンナが勤める学校の保健室には、二人の生徒が保健室登校をしている。他の生徒が怖く、不安に押しつぶされそうになるナオは、いつもベッドの下に潜り込んでいる。もう一人のヒカルは、男子として生きたいと思っている。しかし、周囲からどう見られるかが怖く、勉強も部活も保健室の手伝いも、必要以上に頑張ろうとしてしまう。アンナは、そんな二人を守ろうとする。けれど、この二人に救われるのが自分自身だとは、まだ知らない。
ある日、地域に線状降水帯が迫る。アンナは早期下校を訴えるが、「予報ではこちらには来ない」「まだ大丈夫」と判断は遅れる。やがて雨脚は急激に強まり、学校周辺の道路にも水がたまり始める。川の近くに住むヒカル、家に誰もいないナオも学校に残ることになる。やがて校舎は、地域住民を受け入れる避難所となった。アンナは避難所の仕事を引き受け、ナオとヒカルも手伝う。そんな時、「このくらい大丈夫」と言っていた高齢者が突然倒れる。ヒカルがAEDを取りに走り、ナオも救命処置を手伝う。三人は周囲の人々と協力しながら救急隊へと引き渡す。
夜になった。避難所に静けさが戻っても、ナオとヒカルは眠れない。アンナもまた、張りつめた気持ちを抱えたままだった。三人は保健室で話をする。そこでアンナは、初めてヨット事故について語る。あの日、自分がもっと早く止めていれば。
もっと危険に気づいていれば。三十四年間、アンナは事故の責任を自分で背負い続けていた。その話を聞いたナオが、静かに言う。「アンナ先生、自分のせいだと思ってる? わたしは違うと思うけど。どうしても避けられない災害ってあると思う。今夜みたいに」その言葉に、アンナは初めて思う。あの日のすべてが、自分のせいだったわけではないのかもしれない、と。三十四年間、胸の奥に閉じ込めていたものが、少しだけほどけた。
翌朝、雨は上がり、水も引いていった。学校にはいつもの日常が戻る。ナオはまたベッドの下に潜り込む。ヒカルは多目的トイレを車いすの友人と取り合っている。何も変わっていないように見える。けれどナオは、ベッドの下から自分の気持ちを少しずつ口にするようになり、ヒカルもまた、自分のことだけでなく周りを見るようになっている。アンナの保健室は、今日もにぎやかだ。