あらすじ
妻を亡くして数年になる、七十歳目前の男。ひとり暮らしにも慣れたある日、ウェブオークションで一枚の色鉛筆画を落札する。描かれていたのは、灰色の短髪、小さな赤い角、羽、矢印形の尻尾を持つ若い女の悪魔だった。妖艶な姿に反して、その顔はどこか寂しそうだった。
男は冗談半分に、絵の前へ芝大神宮の栞、芝東照宮と烏森神社のお守りを置く。しかし毎朝「おはよう」と声をかけ、帰宅すれば「ただいま」と言ううちに、妻の死後失っていた生活の言葉が少しずつ戻ってくる。外であった出来事を話し、灰色の髪に似合いそうな銀色のヘアピンまで買ってしまう。絵の悪魔も、男の目には時折笑ったり、怒ったり、困ったりしているように見えた。
やがて男は、自分が彼女に惹かれていることを認める。悪魔は人間を誘惑し、恋をさせ、魂を奪うのが仕事なのだろう。しかし自分が恋されることまでは想定外なのではないか。男はそれを「業務範囲外」とからかう。
その一方で、「悪魔が出てこないため」に置いたお守りが本当に必要なのか疑問を抱き始める。男はついに三つとも片づける。その直後、彼女の首にぴったり巻かれていた黒いチョーカーがわずかに緩み、悪魔は怯えているような表情を見せる。チョーカーは彼女を縛るものなのか、それとも彼女自身が何かを抑えるためのものなのか。男には分からない。
それでも男は、「死にたいわけではない。まだ生きていたい。それでも君には会ってみたい」と告げる。
翌朝、チョーカーは鎖骨まで落ちていた。そして男が絵の前に置いていた銀色のヘアピンは現実から消え、絵の中の悪魔の灰色の髪に挿されていた。
さらに昨日まで誰もいなかった彼女の隣には、男がひとり描き加えられていた。
その男の髪は、白くなかった。