あらすじ
「古文書も読めぬ聖女など、もう不要だ」
世界樹ヴェルドナの根が貫く大神殿で、第十七代《根守りの聖女》セラフィーナは王太子から婚約破棄を告げられた。手をかざすだけで「樹の声が聞こえる」という新たな聖女候補を隣に、十二年の勤めは一言で切り捨てられる。
――かしこまりました。では、本日分の《根典》写本業務は、本日をもって終了といたします。
地下第三層の湿度は四十八パーセント。樹液の在庫は小瓶で十一本。第三十一巻から第三十四巻は縫合糸の張力が低下。淡々と引き継ぎ事項を告げて去る彼女を、誰も引き止めなかった。
前世は国立図書館の古典籍保存修復員。くずし字を翻刻し、劣化した羊皮紙を百年持たせるのが仕事だった彼女は、転生後の十二年で、たった三十段の階段の下、誰も降りてこない地下書庫である事実に気づいていた。
――この国の誰ひとり、《根典》を原文で読んでいない。
神官たちが使うのは三百年前の《簡約訳》。削られた条文、誤訳、そして原文に存在しないはずの一文――『聖女は王家に従属する』。
七十八巻すべての翻刻を終えた彼女の手元には、一冊の帳面がある。題して『原文と簡約訳の差異一覧・三百十二箇所』。
黙っていたのは、信じてもらえないからではない。訂正は、権限のある者が求めたときに出す。それが司書の流儀だから。そして今、この国で最も権限のある方が、はっきりとこう仰った。「読んでみせたことがない」と。
では――十二年ぶりに、原文で読み上げますね?
華もなく奇跡もない、湿度計と計量匙を腰に下げた地味な聖女が、ただ正確さだけを武器に国家の嘘を一行ずつ照合していく。原典にしか従わない、静かで痛快な追放ざまぁ物語。
貸出期限は、設けておりません。