あらすじ
三年前、世界は一変した。
人間の感情や意志が、不可思議な現象――《異能》として顕現するようになったのだ。
怒りは激しい炎となり、守り抜きたいと願う思いは固い障壁へと形を変える。
強い自我を抱く者こそが強者となる、それが新たな世界の常識だった。
だが、真に打倒不能な「絶対の防御」を手にしたのは、己を貫く英雄たちではない。
夢も怒りも、「こうありたい」という理想さえも捨て去り、何も望まなくなった者たち。
傷つく「自分」という存在そのものを手放した彼らには、どのような物理攻撃も精神干渉も届かない。
――世間ではその無敵の現象を《アパシー・ケージ(無感覚の檻)》と呼んだ。
十九歳の蒼井湊人(あおい・みなと)もまた、己を失った一人だった。
かつて神童と謳われたヴァイオリニストでありながら、ある出来事を境に大舞台で演奏できなくなった過去を持つ。
そんな彼が覚醒させた異能《痛覚接続》は、人々が心の奥底に封印した「痛み」と、置き去りにした「本当の願い」に触れる力だった。
ある日、湊人はかつて画家を志していた会社員・二宮誠一と巡り会う。
二宮の魂には、本人すら忘却した「もう一度、キャンバスに向かいたい」という熱い願いが、静かに燻り続けていた。
しかし、《アパシー・ケージ》の無敵性を利用し、「誰も傷つかない完璧な平和都市」の建設を目論む謎の組織《楽園機構》が、二宮を連れ去ってしまう。
封印された痛みを呼び覚ますことは、真の救済なのか。それとも、ただの残酷なエゴなのか。
何も望まない完璧な平穏か、それとも傷つくリスクを背負って歩む人生か。
答えのない葛藤を胸に抱いたまま、湊人は絶望に閉ざされた孤独な心に触れていこうとする。