あらすじ
「お前の淹れる茶は不要だ」
朝の四時半、神官長からそう告げられ、聖女付き調茶侍女リゼットは解雇されました。退職金は銀貨五枚。三年二ヶ月、毎朝四時起きで淹れ続けた茶への対価としては、あまりに軽いもの。
ですが、リゼットは静かに一点だけ申し出ます。
「記帳簿はわたくしの私物でございますので、持ち帰らせていただきますわ」
──その革表紙の中には、一〇九八日分。聖女の体質に合う水源、湯の温度、薬草七種の配合比率。日ごと書き換えられた、神殿の誰も知らない「正解」のすべてが記されていました。
前世はカフェ店長・立花理世。過労で倒れて目を覚まさなかった彼女は、転生先でも身を削って働き続けていたのです。
解雇されたリゼットが向かったのは、三つの峠が交わる街道の分岐点。傾いた屋根、歪んだ窓枠、十年分の埃。けれど朝から夕まで陽の差し込む、南向きの空き家でした。
「君は何ができる?」
「茶を淹れられます」
問いかけたのは、右腕を黒曜石の鱗に覆われた竜人の男・ガーヴィス。味覚を失い、「どうせ味はしない」と呟く彼に、リゼットは一杯の白湯を差し出します。
【味覚鑑定】──自分の舌で一口含めば、成分も鮮度も産地も相性も、すべて数値で読み取れる。
カウンター八席、客の手元に陽が当たる高さ。看板の名は『陽だまり亭』。
開店初日、客はゼロ。二日目、雨の日に鳴った扉の鈴から、この物語は静かに動きはじめます。
一方その頃、正しい水も温度も配合も失った神殿では──。
棚卸しもしたことのない者に、資産の価値は測れません。
追いかけてくる者たちと、居場所を作っていく者たち。数字は正直で、帳面は嘘をつかない。
辺境の街道で、焼きたてのスコーンとバターの香りに満ちた喫茶店。ざまぁと、お仕事と、あたたかな再生のお話です。