あらすじ

紀元前50年頃の古代中国、漢宣帝の御代、瑪援の父親の瑪奉世は警視総監に相当する執金悟であった。瑪援は娘時代男勝りの運動神経の持ち主で、武道や馬術に励んだが、父親に説得され女としての行儀作法を始めた。宣帝が崩御し、元帝が立つと瑪援は後宮に入り、元帝に寵愛され、昭儀に次ぐ婕妤に上った。この頃、元帝の寵愛は傅昭儀と瑪婕妤が双璧であった。 ある時、元帝は猛獣を飼っている上林園に行き、そこには後宮の主だった夫人も同席していた。その時、熊が囲いから逃げ出し、元帝のいる御殿に入ってきた。傅昭儀を始めとする夫人たちは慌てて逃げだしたが、瑪援は熊の前で仁王立ちとなり元帝を守った。翌年、瑪援は男児興を産み、昭儀に上った。一方、傅昭儀の寵愛は衰え、息子の済陽王康とともに領地に赴任させられた。傅昭儀は傳后と呼ばれるようになるが、生涯、瑪援を妬み、仕返しの機会を狙うようになる。 元帝が崩御すると成帝劉鷔が立ち、成帝の生母王政君の一族に政権が集中した。瑪援の息子劉興は中山王となった。瑪援は国母と慕われ、国は良く治まった。劉興は衛姫との間に男児箕子を設けたが、病弱であった。瑪援は自ら介護し、祈祷した結果、箕子は無事育った。その頃、成帝は皇后趙飛燕と妹の合徳を寵愛したが、二人に皇子は生まれず、他の夫人の産んだ成帝の皇子をすべて殺害した。傳后は賄賂を駆使して、自分の孫劉欣を趙飛燕の養子としたうえ、皇太子に立てるのに成功した。その翌年、成帝は趙合徳との閨で崩御した。 哀帝劉欣が即位した。権勢は王一族から傳一族に代わり、傅后は帝太皇太后と称し、豪勢な宮殿を立てて権勢を奮った。傳后は恨みを抱いていた瑪援に対して、中郎謁者の張由に命じて瑪援の落ち度を調査させたが、清廉潔白な瑪援に落ち度はなかった。張由は偽って、瑪援が哀帝と傅太后を呪っていると訴えたが、瑪援は罪を認めなかった。瑪援は、これが自分を恨んでいた傳后の陰謀だと知ると自害した。栄華を極めて傳后は死去すると、傅后は太皇太后として元帝の眠る渭陵の隣に合葬された。 その後、哀帝が崩御すると、瑪援の孫箕子が衎と改名しわずか九歳で即位した。平帝である。瑪援は皇帝の祖母として盛大な儀式に基づき葬送された。太皇太后王政君の甥王莽が復権し、傅后の棺は担ぎ出され、平民の墓に移された。王莽は平帝を毒殺し、漢朝を簒奪した。

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小説を読もう2026/10/03
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