あらすじ
三十一歳、無職。失敗の理由を他人に求めることだけ上手くなった男は、異世界の小さな村に、ノアという名の赤ん坊として生まれ変わる。そこで知ったのは、魔法を使うたびに自分の記憶を失うという、この世界では子供でも知っている常識だった。
普通の人間なら、ためらうところだ。だがノアには、もう一人分の人生がある。思い出したくない面接も、ろくに通わなかった学校も、眠れずに見続けたくだらない動画も。三十一年分のろくでもない記憶を使って、今度こそ金と尊敬と、できれば働かなくていい暮らしを手に入れる。人生をやり直す機会をもらって最初に考えたのが、それだった。
もっとも、大人の記憶を持っていることと、大人としてまともであることは別の話だ。少し褒められれば大口を叩き、失敗すれば幼児のふりをして逃げる。父の道具を勝手に持ち出して母に叱られ、天才扱いをしてくれない姉には腹を立てる。そんな日々の中で、ノアは少しずつ魔法を覚えていく。昨日より上手くできたことは数えても、昨日まで覚えていたはずのことを、わざわざ数えたりはしなかった。
村には、一つだけ気になるものがある。麦畑の向こうに立つ、白い灯台だ。屋根を直す者も、そこで待ち合わせる者もいるのに、何のための建物かは誰も知らない。父に海はどこかと尋ねると、逆に「海とは何だ」と聞き返された。家の中にも、おかしなものがある。四人で暮らす食卓の、誰も座らない五脚目の椅子。邪魔だから片づけようと言った日、父は初めて、ノアに声を荒らげた。
忘れたのなら、紙に書けばいい。分からないのなら、誰かに聞けばいい。そう思って調べ始めたノアだったが、古い記録には妙な空白があり、家族の話は肝心なところで食い違う。そして何より、自分自身の記憶も、少しずつ確かではなくなっていた。死ぬ直前、日本の海で見たはずの灯台。その上に立っていた女。彼女はなぜ、初対面の自分に「今度は、忘れないで」と言ったのか。
やがて村で起こる異変は、ノアから言い訳をする時間さえ奪う。家族を守るために必要なのは、これまでとは桁違いの魔法。その代償を選ぶ段になって、彼はようやく、自分が何を持っているのかを考え始める。
捨てたつもりの前世にも、当然のように受け取ってきた今の暮らしにも、失いたくないものがあった。そんなことに気づくには、もうずいぶんと使いすぎていた。