あらすじ
9月7日の夜。
恋人と親友に殴られて、私はマンションの外廊下へ押し出された。
内側で、チェーンの掛かる音がした。
手すりには雪。ドア越しのテレビが、浦篠市の気温を−50度と告げている。
スマホも財布も、靴さえ、ドアの向こうに置いたままだった。
見守りカメラに映っていたのは、私のベッドに寝転がって、保険の受取人の相談をする二人。
大学からの親友と、三年付き合った恋人が値札を付けていたのは、私の家と、私の命だった。
目を開けると、真夏の会社のエントランスに立っていた。
スマホの画面は、8月18日、8時52分。
あの夜まで、20日ある。
二人は後回し。先に、雪だ。
有給を全部使って、その日のうちに退職届を出した。
恋人には「実家を一軒売って、新居にしよう」と笑ってみせる。
彼のスマホに並んでいた180万円は、黙って私の口座へ移した。
猫のおこげを連れて向かうのは、山の麓の両親の家。
三年前の事故から家具ひとつ動かしていないその家の地下室の奥に、鉄の扉がある。
扉の向こうは、父が収蔵庫にしていた旧海軍の地下壕。奥行きは50m。真夏でも、中は15度しかない。
薪2トン、木炭200kg、米60kg、500mLの水を24本入りで200箱。
通気口の管は、「雪が積もっても埋まらないくらい」の長さまで延ばしてもらった。
板金屋さんには笑われた。この辺で雪が積もったのは、子どものころに一回あったかどうかだそうだ。
それから、もう一つ。
あの部屋のクローゼットと押し入れも、空にしておいた。
冬の掛け布団、毛布、圧縮袋の羽毛布団、二人分のダウン、台所の米と缶詰。
冷蔵庫に残したのは、炭酸水と缶ビールと、親友の置いていった紅茶だけ。
真夏に、冬物のしまい場所を確かめる人はいない。
カメラの中の二人は今夜もソファに並んで、宅配ピザを食べている。
浦篠市の天気予報は、最高気温35度、晴れ。
雪まで、あと一週間。
全10話。小説家になろうにも掲載します。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。