あらすじ
「父上、剣を頼むなとは、どういう意味ですか」
天保四年、秋。出羽国境の小藩・名峰藩。
家禄わずか二十五石、極貧の下級武士・矢野源之丞は、道場において「神童」と謳われ、同世代に敵なしの太刀を誇っていた。しかしその刃は藁一本斬ったことがなく、人を斬る痛みも知らなかった。
長雨が稲を枯らし、飢饉の影が城下を覆い始めたある夜。
勘定方の小役人であった父・清兵衛が、米蔵の裏手で何者かに惨殺される。
藩は即座に同僚武士を下手人と断定し、源之丞へ公的な仇討ちを命じた。
幼少期からの無二の親友であり、若くして藩中枢へ抜擢された佐伯信三郎は、絶望に沈む源之丞を支え、共に仇を追うことを誓う。
だが、父の足跡を辿るうちに浮かび上がる、不可解な数字の羅列。
蔵から消えた米、改竄された帳簿、そして父自身が抱えていた十年前の暗い秘密――。
誰が父を殺したのか。
なぜ父は死なねばならなかったのか。
そして、最も信じる友は、なぜ静かに嘘を重ねるのか。
泥に濡れた刀を握り、青年は「人を殺す世界」へと足を踏み入れる。
善悪では割り切れない武家社会の暗部と、過酷な運命に翻弄される友情を描く、長編本格時代小説。