あらすじ
富山県、立山カルデラ。世界屈指の急流河川・常願寺川の最上流に広がるこの巨大な窪地には、安政五年の大崩壊以来、いまも四億立米の不安定土砂が眠っている。
線状降水帯が立山を直撃したその日、若き砂防技術官・阿部は、地下水位計と傾斜計が振り切れていくのを見ていた。深層崩壊。土石流の発生。カルデラ内には作業員二百八十名、退路はトロッコ軌道だけ。下流の岩峅寺の段丘上には、避難の遅れた集落。
阿部に与えられた武器は、令和の大改修で施されたふたつの仕掛けだった。白岩堰堤の油圧式可動ゲートで土石流を減勢し、岩峅寺の急カーブで可動水制群を立ち上げて進路を逸らす——図面の上では、何度も確かめた線。だがいま、その線は生きた人間の命綱になる。
ベテラン作業員・源さんとの無線越しの対話を支えに、阿部は二度の極限の決断を下す。明治のデ・レーケから引き継がれた、百六十七年の系譜の最新ページが、いま書かれようとしていた。