あらすじ

セガの広告といえば、せがた三四郎、そして湯川専務。 強烈なキャラクターと自虐まで武器にしたセガの広告は、今なお多くの人の記憶に残っている。 では、セガの広告戦略は間違っていたのだろうか。 筆者は、むしろ広告としては成功していたと考える。 問題は、その先だった。 ハードを売るには「このゲームを遊びたい」と思わせるソフトが必要になる。そして、そのソフトを揃えるにはサードパーティの存在が欠かせない。 ファミコンのナムコ作品、『ドラゴンクエスト』。プレイステーションの『リッジレーサー』や『ファイナルファンタジー』。 こうした「このゲームのためにハードを買う」という力を、セガは十分に作り切れなかったのではないか。 さらにサターンは、開発側にとって決して扱いやすいハードではなかった。そこへ市場規模の問題まで重なり、ソフトメーカーが参入を慎重に考えるという悪循環が生まれていく。 そしてサターン時代には、バンダイとの合併という大きな可能性もあった。 キャラクターコンテンツに強いバンダイ。 実際、サターンには『戦慄のブルー』や『ギレンの野望』といった魅力的な作品も存在した。 もし「セガバンダイ」が実現していたら、サターン以降のゲーム業界は違ったものになっていたのだろうか。 広告は勝っていた。 ゲームも面白かった。 それでも、セガはハード事業で勝ち残れなかった。 なぜだったのか。 そして、それでも筆者は、そんな不器用なセガが好きだった――。

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小説を読もう2026/09/06
  • 現在の作品『セガは広告で勝っていた。それでも、なぜ負けたのか――せがた三四郎と湯川専務が残したもの』