あらすじ
セガの広告といえば、せがた三四郎、そして湯川専務。
強烈なキャラクターと自虐まで武器にしたセガの広告は、今なお多くの人の記憶に残っている。
では、セガの広告戦略は間違っていたのだろうか。
筆者は、むしろ広告としては成功していたと考える。
問題は、その先だった。
ハードを売るには「このゲームを遊びたい」と思わせるソフトが必要になる。そして、そのソフトを揃えるにはサードパーティの存在が欠かせない。
ファミコンのナムコ作品、『ドラゴンクエスト』。プレイステーションの『リッジレーサー』や『ファイナルファンタジー』。
こうした「このゲームのためにハードを買う」という力を、セガは十分に作り切れなかったのではないか。
さらにサターンは、開発側にとって決して扱いやすいハードではなかった。そこへ市場規模の問題まで重なり、ソフトメーカーが参入を慎重に考えるという悪循環が生まれていく。
そしてサターン時代には、バンダイとの合併という大きな可能性もあった。
キャラクターコンテンツに強いバンダイ。
実際、サターンには『戦慄のブルー』や『ギレンの野望』といった魅力的な作品も存在した。
もし「セガバンダイ」が実現していたら、サターン以降のゲーム業界は違ったものになっていたのだろうか。
広告は勝っていた。
ゲームも面白かった。
それでも、セガはハード事業で勝ち残れなかった。
なぜだったのか。
そして、それでも筆者は、そんな不器用なセガが好きだった――。