あらすじ
気の遠くなるような時間を生きる巨大な石の塊と、その足元で生き、傷つき、死んでいく人間たちの接触の物語。
山にまだ名前すらなかった原初の世界、凍え死にゆく女「おさき」が冷たい岩肌を引っ掻いたことから、岩の主は初めて「他者の温もり」を知る。時は流れ、戦乱の時代、腹を裂かれた女の兵卒が流した血の熱が、岩の深層の神経と硬直した細胞をわずかにほどいていく。
やがて人間たちは山を切り崩し、コンクリートと鉄格子でその巨岩を無機質な檻へと閉じ込めた。すべてを効率で管理する文明のただ中で、開発に疲弊したひとりの役人が流した涙の一滴が、ふたたび岩の底へと染み込む。
そして、人間たちの文明が自らの重みで音もなく崩れ去った未来。かつてと同じ小さな癖を宿した一人の子供が山のふもとに現れ、何の迷いもなく巨岩の肌に頬を押し付ける。その瞬間、何百年もの歳月をかけて蓄積されてきた無数の「触れた記憶」が完全にほどけ、静まり返った斜面で、新しい一本の根が地面を割る。