あらすじ
「浅野が吉良に賄賂(進物)を渡さなかったため意地悪をされた」という、忠臣蔵で広く知られた具体的なエピソードは、事件直後の一次史料には見られず、後世の脚色である可能性が高いが高家への「進物・指南料」という慣行自体は実在しており、予算やタイミング、実務連絡をめぐる何らかの行き違いがあった可能性を示す史料は、複数存在する(『沾徳随筆』の予算対立説、『江赤見聞記』のタイミング説、『岡本元朝日記』の畳替え問題説など)が これらの史料は、それぞれ内容が食い違っており、単一の「真相」として統合することはできない。
また、内匠頭には、母方の縁者に二件の先例(内藤忠勝、稲葉正休)がある持病持ちであったこと、「痞」という持病があったことは、複数の史料が伝える事実である。
討ち入り後の赤穂浪士たちの処遇をめぐっては、当時の儒学者たちの間でも「忠義として賞すべきか、私闘として罰すべきか」という論争があった。
本書は、これらの史実の断片を、私なりの解釈で一本の線に繋ぎ合わせている。