あらすじ
披露宴が終わったあと、親族だけが残る控室で、義母の佳代さんが古びた朱塗りの椀を持ってきた。
中には黒糖のような甘い香りに、生姜と何種類かの薬草の匂いが混じった赤褐色の汁が入っていた。久世家では、嫁いできた女性が「嫁入り汁」を飲むのが昔からの習わしなのだという。
私が手を伸ばすより先に、隣にいた直人の顔から笑みが消えた。
「母さん、美月が嫌なら無理に飲ませなくていいだろ」
親戚たちは笑いながら、ただの縁起物だと言った。黒糖と生姜、それに身体にいい薬草が入っているだけだから心配はいらない、と。
せっかくの結婚式で空気を悪くしたくなくて、私は椀を受け取った。ひと口飲むと、強い甘さの奥に、乾いた草の根のような苦みが残った。
椀を戻そうとすると、佳代さんが私を見た。
「美月さん、最後まで飲んでね」
親戚たちの視線が一斉に集まり、私は仕方なく残っていた汁を全部飲み干した。
空になった椀を見た瞬間、佳代さんの肩からふっと力が抜けた。そして背を向ける直前、ほんの一瞬だけ笑ったように見えた。
あとになって知ることになる。
あの汁は、花嫁を祝うためのものではなかった。