あらすじ
母の容体が急変した。残された治療法は保険適用外の先進医療で、高額療養費制度の対象外だった。自治体の助成制度も調べたが、申請から承認までに時間がかかり、母の状態はそれを待てなかった。結局、あと三百万円を自己負担で用意するしかなかった。
私は泣きながら、結婚して五年になる夫――神谷遼介に頼んだ。遼介はITベンチャーを経営していたが、その頃は会社の資金繰りが厳しいと何度も口にしていた。
「美月、ごめん。会社が今かなり厳しいんだ。本当に金がない」
私は信じた。
昼はフードデリバリー、夜は食品工場の夜勤に入り、借りられるところからは頭を下げて金を借りた。ただ母を助けたかった。
けれど、母は間に合わなかった。
母が亡くなった日、私は葬儀社へ死亡診断書を届ける途中で、遼介の会社の前を通りかかった。そこで、オフィスのドア越しに、二歳年上の従姉――藤原理奈の声を聞いた。
続いて、遼介の低い声がした。
「花音の教育資金なら、八百万円は別に取ってある」
「足りなくなったら、また言ってくれ」
私はその場に立ち尽くした。
手の中で、母の死亡診断書がゆっくりと皺になっていった。
遼介に金がなかったわけではない。
ただ、私の母の命に、その金を使う気がなかっただけだった。