あらすじ
江戸時代、大名が改易されることは珍しくなかった。
だが、切腹すら許されず斬首された大名は、二百六十年余りの歴史を通じてただ一人しかいない。
肥前島原藩四万石の大名・松倉勝家。
島原・天草一揆――幕府軍十二万を動員し、上使・板倉重昌までも戦死させたこの大乱の後、勝家は改易され、武士としての名誉ある死を許されないまま処刑された。
苛政を敷いた大名だったことは間違いない。
過大な石高申告、九公一民の重税、拷問による取り立て、キリシタン弾圧――処罰される理由は十分すぎるほどあった。
だが、なぜ改易だけでは済まなかったのか。
なぜ切腹という武士の名誉すら与えられなかったのか。
実はこの「なぜ」を直接説明する一次史料は、今日まで見つかっていない。
同じ一揆の当事者だった天草領主・寺沢堅高は、斬首を免れている。
この処分の差は何を意味するのか。
史料に残された事実を一つずつ積み上げながら、幕府が「反乱の責任」をどう処理しようとしたのか、その論理に迫る歴史考察エッセイ。