あらすじ
銃では、人は死なない。
人類が片目に特殊な生命器官《Iris》──アイリスを宿す世界では、銃弾や爆発による致命傷はIrisによって防がれる一方、刃物だけはその加護をすり抜け、人の命を奪うことができる。
ゆえに銃は人を制圧する道具となり、刃を抜くことは明確な殺意を意味する。
そんな世界でかつて《送り人》と呼ばれ、一度として戦いに敗れなかった男がいた。
榊涼、二十五歳。
中央政府直属の精鋭傭兵集団《無銘》に所属していた彼は、五年前、とある紛争で滅びた村から一人の少女を救い出した。
少女には名前がなかった。
涼は彼女に《妃依》という名前を与え、生き残るための銃の扱い方を教え、ともに世界を旅してきた。
それから五年。
中央政府から呼び戻された涼は、新設組織《特務執行局》への所属を命じられる。
国家、警察、軍、学校、企業、自治組織では処理しきれない問題へ介入する、わずか二名の特殊執行機関。
涼が提示した唯一の条件は、十五歳になった妃依を自分の相棒として同行させることだった。
こうして、元最強傭兵と猫耳の少女による新しい生活が始まる。
政府から与えられたのは、任務だけではなかった。
五年間旅を続けてきた二人にとって初めてとなる、一軒の家。
妃依は学校へ通い始め、友達を作り、料理を覚え、買い物へ行き、放課後を知っていく。
一方の涼は、戦場なら数秒で最適解を導き出せるくせに、朝食の卵焼きひとつまともに作れない。
そこへ中央政府から派遣された若き協力者たちも加わっていく。
面倒見のいい久我徹、穏やかな天城澄玲、眠たげな近接戦闘の天才・雨宮斗架、機械に強い小町美鈴、狙撃手を目指す高野采希。
任務を通して知り合った彼らは、いつしか仕事がなくても二人の家を訪れ、食事を作り、映画を見て、物を忘れて帰るようになる。
二人だけだった食卓には椅子が増え、玄関には靴が並び、冷蔵庫には誰かが買った食材が入り、家の片隅には持ち主の違う私物が少しずつ積み重なっていく。
しかし、特務執行局へ持ち込まれる事件は、穏やかなものばかりではない。
国家間紛争、暴走列車、武装組織、誘拐事件、無人要塞、人工Iris。
さらに各地では、Irisへ刃を突き立てることで人間の肉体そのものを光へ変換し、《資源》として回収する禁忌の技術が密かに利用され始めていた。
涼は圧倒的な戦闘能力で敵を退け続けるが、どれほど強くても、一人では守れないものがあることを知っていく。
そして妃依もまた、いつまでも涼の後ろを歩く少女ではなくなっていく。
学校で得た友人たち。
涼とは違う価値観。
自分自身で下した判断。
誰かに守られるだけではなく、自分が誰かを守る経験。
五年間、妃依へ「生き残る方法」を教えてきた涼は、やがて彼女自身が選んだ生き方と向き合わなければならなくなる。
守りたいから危険から遠ざけるのか。
信じているから、危険の中へ送り出すのか。
そして妃依も問う。
自分が生き残るために与えられた力を、これから何のために使うのか。
戦うことしか知らなかった男と、彼に生き方を教わった少女。
二人は数々の事件と何でもない日常を繰り返しながら、少しずつ変わっていく。
人を生かす方法だけを知っていた男は、人と暮らす方法を覚えていく。
守られることで生き延びた少女は、自分の人生を自分で選び始める。
そして二人だけだった家は、いつしか多くの人間が帰ってくる場所になっていく。
これは銃の物語でありながら、銃を撃たなくていい時間を手に入れるための物語。
戦える二人が、戦わなくていい日の過ごし方を覚えていく物語。
そして、
「人を守るとは、その人の人生を代わりに生きることではない」
ということを知るまでの物語である。