あらすじ
聖なる都とは、神が住まう都ではない。
神の名を使う者たちが、最も美しく嘘を塗り固めた場所である。
月神ムーミストを祀る聖都、メミス。
白い神殿。
銀の鐘。
祈りを捧げる巡礼者たち。
そして四十年に一度、
この都には《聖戦》の季節が訪れる。
古き蛇が目覚めるとき、
選ばれた戦士《ラーザァー》はザルハルト山へ赴き、
月神の血と呼ばれる《血の雫》を授かる。
その力によって怪物を退け、
聖都を守る。
誰もが知る、月神メミスの神話だった。
十六歳の少年、アレク=アルフェラッツも、
その神話を信じる者の一人だった。
神官家の後継。
未来の神官。
そして、神格構文へ異常なほど強く反応する《エイース》の血を持つ少年。
父は言う。
「お前の血は、月神から与えられた最大の祝福だ」
けれどアレクには、ずっと疑問があった。
祝福なら、なぜこんなにも痛いのか。
月神に選ばれた血なら、
なぜ封じられた別の神にまで反応するのか。
そして何より――
なぜ自分の名前さえ、自分で選ぶことを許されないのか。
神殿では、彼は《アレク》と呼ばれる。
神官家の後継として与えられた、
短く、男児として扱いやすい名前。
だが母だけは、
誰にも聞かれない場所で別の名を呼ぶ。
アレクサンドラ。
それは神殿の台帳へ記される前に、
父によって書き換えられた名前だった。
そんな彼のもとへ、
旅から帰った青年シルハインドが、
奇妙な蒼い観測石を持ち帰る。
その石が見つけたものは、
月神の祝福ではなかった。
神殿の地下を走る黒い構文。
封じられた古き蛇神。
そして《血の雫》に隠された、
聖都が決して語ろうとしない過去。
やがてアレクは知る。
この土地は、最初から月神のものではなかった。
《怪物》と呼ばれる蛇神にも、
かつて名があり、祈る者がいた。
《聖戦》と呼ばれてきた戦いにも、
別の真実がある。
《月神の血》と呼ばれる力も、
ただ清らかな祝福ではない。
そして神殿は、
都を守るためなら人の死さえ美しい物語へ書き換える。
死んだ少年は《月神に召された者》に。
封印事故は《聖戦》に。
奪われた神の怒りは《邪悪な怪物》に。
痛みに耐える血は《祝福》に。
けれど――
嘘の上に建つ都だからといって、そこに暮らす人々の祈りまで嘘なのか。
アレクは、その単純な答えを選べない。
神殿の嘘は暴かなければならない。
だが、都の人々は守りたい。
蛇神を怪物として消したくない。
だが、人を殺させることもできない。
そして自分自身も、
《アレク》を捨てて《アレクサンドラ》へ戻れば終わるわけではない。
どちらかを誰かに選ばされること自体が、違う。
だから彼は宣言する。
「私は、アレク」
そして――
「アレクサンドラ」
どちらの名も。
この血も。
この身体も。
神にも。
父にも。
神殿にも。
もう、勝手に意味を決めさせない。
これは、偽りの聖都で育った少年が、
「自分を何と呼ぶか」を、自分自身の手へ取り戻す物語。
神話、信仰、血、名前をめぐる聖都幻想譚。
※公式サイト先行公開、小説家になろう平行連載