あらすじ
医療法人社団清峰会の内部監査室長、相良玲奈。
総合病院や専門病院、診療所などを運営する大規模医療グループで、二十六人の部下を率いる彼女は、患者の命と法人の信用を守るため、医師や役員が相手でも事実を曲げずに働いてきた。
そんな玲奈が待ち望んでいた妊娠は、子宮外妊娠だった。
卵管破裂による腹腔内出血。
命に関わる緊急手術。
だが、形成外科部長である夫、相良雅臣は病院からの連絡に応じなかった。
彼がいたのは、玲奈の病室ではない。
三年間関係を続けていた愛人、一ノ瀬美玲の美容クリニック開業祝いだった。
退院後、玲奈は離婚届と慰謝料請求を弁護士へ預ける。
夫婦としての関係は、それで終わった。
しかし、内部監査室には以前から、美玲のクリニックに関する匿名通報が届いていた。
清峰会から不自然に流れる患者。
勤務時間中に開業準備を手伝わされる職員。
医療機器の異常な契約条件。
院内設備の無断使用。
診療情報への不適切なアクセス。
関連会社を経由した広告費とコンサルティング料。
玲奈の手術当夜に撮影された開業祝いの写真は、夫とクリニックを結ぶ最後の一本となった。
玲奈は私怨で夫を裁かない。
理事長承認のもと、四つの監査班を同時に動かし、契約書、勤怠記録、紹介患者、アクセスログ、請求データを保全する。
形成外科部長として将来を嘱望されていた雅臣は、妻なら監査を止められると思っていた。
「俺はお前の夫だぞ」
「離婚については代理人を通してください」
「こんなもの、夫婦の問題だろ!」
玲奈は監査通知書を机の上へ置いた。
「いいえ。夫婦の問題は昨日終わりました」
「今日は監査です」
妻の命を軽んじ、医療法人を愛人の事業へ利用した医師。
怒りを証拠へ変え、組織と制度で逃げ道を塞ぐ内部監査室長。
これは、裏切られた妻が新しい男に救われる物語ではない。
一人の女性が、自分の人生と医療の尊厳を取り戻し、夫が築いた虚栄を監査報告書一冊で崩していく物語である。