あらすじ
旅の途中で、誰にも知られず消えていく唄がある。
吹雪の夜、帰らない父を待ちながら子供たちが歌う数え唄。
狐罠の掛け方を忘れないため、猟師たちが口ずさむ唄。
嫁いでいく娘のために女たちが歌う泣き唄。
舟を海へ送り出す祝い唄。
市場の売り唄。
子守唄。
労働歌。
そして、旅人たちが帰らぬ仲間を待つための唄。
「吹き流れる知恵の収集旅団」で生まれ育ったサリ・ウィ・ロンネが惚れたものは、そんな名もなき人々の唄だった。
節は紙には残せない。
それでも、歌詞と、それが歌われた場所と、人々の暮らしだけなら残すことができる。
「道具の使い方は道具と一緒に廃れる。だが唄は、使い道が消えたあとも残る。半分でも拾っておけ」
その言葉を胸に、サリは四十年にわたって七種族の土地を旅し、唄を拾い続けた。
老いて旅に出られなくなった彼女は、山のような手控えから三十の唄を選び、一冊の本にまとめる。
これは英雄の物語ではない。
歴史書にも残らない人々が、働き、遊び、子を眠らせ、誰かの帰りを待ちながら歌ってきた――そんな「異世界の日常」を集めた、一人の旅人の民謡採集録。
この一冊は、唄の抜け殻の集まりである。
けれど殻さえ残しておけば、いつか誰かが、その中にあった節を思い出すかもしれない。