あらすじ
「校正者は、作者の味方じゃない。読者の味方でもない。文字の味方だ」
三隅律、四十七歳。神保町の校正会社で二十三年、他人の文章の誤りを見つけて暮らしてきた。
母が死んだ。八年間、年に二度しか会わなかった母だった。
遺品の段ボールの底から、四百字詰原稿用紙で千二百三枚の手書き小説が出てくる。
表紙に『あかね』、三隅節子。母が小説を書いていたなど、律は一度も聞いたことがなかった。
読み始めた律は、十枚目で手を止める。
すでに、朱が入っていた。
「トルツメ」「イキ」「ママ」——正式な校正記号で、正確に。
母は中学しか出ていない。生涯、読み書きに困難を抱えた人だった。
文字の並びが動いて見える、と言っていた人だった。
誰が、この原稿に朱を入れたのか。
なぜ「原文のまま」という指示が、百八十九か所もあるのか。
そして最後の一二〇三枚目に、本文がひとつも書かれず、
赤い四角に囲まれた「イキ」の二文字だけが遺されているのは、なぜなのか。
他人の間違いを直しつづけてきた女が、いちばん直してはいけない原稿に向き合う。
全二十四話・完結済み。
```