あらすじ

夜守の記録係・鈴木航が集中できる場所は、六畳の端にある本に囲まれたベッドだけだった。 教室も夜の街も情報過多で、思考の輪郭がにじむ。頭側に文庫、足元に専門書、壁際に段ボールの本棚。背表紙が肩に当たる感触だけが、世界を六畳に狭めてくれる。 今夜も眼鏡を外さずに仰向けになり、天井の染みを大阪府の地図として記録する。スマホには山村からの「保がまたケーキを焼いている」という連絡。千夜の失敗したスポンジの原因を室温だと断定したあとにも、卵の温度と不良の手首の力という、数値化しにくい残りかすがある。 枕の下には、香澄がムスカリに巻いていた付箋——「報われなくても、夢を追う」。資料として保管したはずの紙が、データでなくなっていることが腹立たしい。腹立たしさも、彼は記録する。 母が電気を消し、闇の中に紙とインクの匂いだけが残る。千夜から「卵は何度が正解」と短い文が届き、鈴木は手の温度を引けと返す。見たことのない部屋の話をされる信頼は測りにくい。それでも返信の速さは測れる。今夜の千夜は早かった。 本に囲まれたベッドは戦場ではない。戦場の地図を広げる机だ。正しく残せば、千夜はまた卵を割り、山村は走り、香澄は光り、氷室はあくびをする。その循環を、六畳の本の壁が支えている。頁を閉じないことが、鈴木航の寝方だった。

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エブリスタ
エブリスタ2026/09/13
  • 現在の作品本に囲まれた自分のベッド