あらすじ
読書を至高の趣味とする男・武藤は、フィクション小説をこよなく愛する理屈屋の読者だ。
起承転結が整い、作者自身を感じさせないほど綺麗な虚構で包まれた物語。そんな“つるり”とした手触りの小説こそが、良い作品だと信じていた。
そんな武藤が中学生の頃、偶然手に取った大学の文芸誌で、一人の書き手と出会う。
ペンネームは「東雲朔夜」。
小説としては拙い。なのに、その文章からは作者の感情が滲み出ているような、不思議な“ざらり”とした手触りがあった。
本来なら好みではないはずのその文章に、武藤はどうしようもなく惹かれてしまう。
けれど、東雲朔夜はやがて文芸誌から姿を消した。
それから数年。
大学の法学部に進学し、文芸サークルに入った武藤は、一人の男と出会う。
人懐っこく、距離が近く、誰とでも仲良くなれる猫柳。
文学部で民俗学を学ぶ彼は、相手に合わせていくつもの顔を使い分ける、筋金入りの“猫被り”だった。
――いけ好かない猫被り。
武藤にとって、最初はただそれだけの男だった。
ところが、フィールドワークに連れ回され、レポートを手伝わされ、雨の日にはずぶ濡れで転がり込まれ――気づけば猫柳は、武藤の生活のすぐ隣に居座るようになっていた。
そして猫柳もまた、自分の猫被りを見抜きながら、それを暴こうとも、やめさせようともしない武藤の前でだけ、少しずつ“皮の下”を見せ始める。
文章なら読める。
そこに滲んだ感情だって、見つけられる。
なのに、人間の感情はどうしてこんなにも分からないのか。
そんなある日、武藤は猫柳が書いた小説の中に、ずっと忘れられなかった“手触り”を見つけてしまう。
かつて恋をした文章と、今、目の前にいる男。
二つはやがて、武藤の中で思いもよらない形で交わり始める。
これは、物語に恋をした読者が、その文章の向こうにいる“誰か”を見つけるまでの話。
そして、理解できなかった感情を、やがて“恋”と呼べるようになるまでの物語。
※この作品は、「カクヨム」と「pixiv」にも一部掲載しております。