あらすじ
二十九歳、会社員、男。
前の職場の一歳上の男友達から、熱烈なプロポーズを受けた。断りきれずにいると、次のLINEが来た。
『今度の連休、旅行に行こう。その時は、女装をしてきてほしいんだ。出発の時から、帰ってきて別れるまで、ずっと』
猶予は十日。ユニクロで下着を選び、深夜のドンキでウィッグを買い、サロンでプロの手を借りる。鏡の中に現れたのは「けっこう可愛いかも?」と思える一人の女だった。主導権は僕が握る──そう言い聞かせたはずが、待ち合わせの「腕、組んでくれないと歩かないよ」で先を越され、六本木の試着室と、夜景のレストランでの最後通牒で、防衛線は音を立てて決壊する。
そして彼から届いた一枚の画像。下手な、痛々しいほど下手な、彼自身の女装写真。
──私が、綺麗にしてあげなければ。
八甲田への三泊四日。初日は僕が女、二日目は彼が女、三日目は二人とも女。渚と岬、海と陸の境目の名前で呼び合い、血糊と縄と奥歯を仕込み、廃校の教室で制服のままキスをする。演技だったはずのものが、名前を呼ばれるたびに本物になっていく。
帰京した部屋の本棚に、一冊の古い文庫があった。『渚にて』。彼は名付けたのではなかった。僕の本棚から、渚を見つけ出しただけだった。
演じることをめぐる恋愛小説、第一部。全十三話。
※R15。暴力・性的な場面を含みますが、作中の暴力はすべて登場人物同士が仕組んだ「芝居」として描かれます。