あらすじ
波紋が感情として可視化されるこの世界で、王家の第三皇子・ルークは十年間、ただ一人「感情波紋のない人間」として生きてきた。十五歳の夜、謀反に巻き込まれた暗殺者の呪術によって感情ごと凍りつき、以来すべての波紋が消えた。「波紋なき皇子」は宮廷で恐れられ、近寄る者もいなかった。
王都の主席波紋医術師・エイラは、辺境の十九歳の少女・セレナを召喚した。彼女が持つ「共鳴体質」――相手の感情波紋に完全に同調する能力――こそが、呪いを解く唯一の可能性だと考えたからだ。
初めてルークと対面したセレナは、「波紋がゼロの人間」という未知の感覚に息をのんだ。虚無ではなく、完全な静寂。感情の場所があるはずなのに、そこに何もない。
施術が始まったが、通常の波紋術は全く反応しなかった。感情を受け取る受容体が完全に閉じられている。セレナはやがて気づく。ゼロに共鳴するとは、感情がない「静寂そのもの」に周波数を合わせることだ。誰も試みたことのない発想だった。
施術を続ける中で、ルークはセレナを観察し始める。「なぜ諦めないのか」という問いに、セレナは「諦める理由がないから」と答えた。その言葉が、ルークの中で何かを動かした。
やがてセレナは、十五歳の少年を凍らせた者への怒りを感じた。その怒りの波紋が、初めてルークに届いた。微かに、でも確かに。受容体が少しだけ開いた。
突破口が開いた一方で、エイラがセレナに告げた。IP₃共鳴を使い続けることで、セレナ自身の命の波紋がすでに相当量失われていると。それでもセレナは止まらなかった。「命が削れるなら、意味のあることに使いたい」
それを知ったルークは初めて「命令」ではなく「懇願」に近い言葉を使った。「お前が消えることは損失だ」――感情のない声のはずなのに、その質が少し変わっていた。
最終施術の夜。セレナは残りの波紋を全て使い、IP₃共鳴を完成させた。十五歳の夜に凍りついた恐怖と孤独に触れた瞬間、呪いが割れた。ルークが十年ぶりに泣いた。その涙を見た瞬間、セレナの意識が遠のいた。ルークが、自分から、セレナの手を握り返した。
三ヶ月後、セレナは回復したが命の波紋の一部は戻らなかった。ルークには少しずつ波紋が戻り始めていた。再会した朝、ルークがセレナの手に触れると、小さな波紋が広がった。
セレナが泣いた。それが、答えだった。