あらすじ
「欲しいものは?」と訊かれて、答えられないまま三十歳で死んだ。
階段から落ちるその一瞬、走馬灯は真っ白だった。思い出せないのではない。三十年のどこにも、自分が欲しくてやったことが一つも混ざっていなかったのだ。
最後に浮かんだのは、六つの頃に拾った石のことだった。濡れると色が変わる、あの石。あれは結局、なぜ色が変わったんだろう。
生まれ直した世界には、魔法があった。灯り、水、暖。暮らしを回す道具の底には「封じ文」と呼ばれる文字が、びっしりと刻まれている。千年前から使われていて、誰にも読めない。職人はただ一画も違わず写すだけ。——町じゅうの人間が毎日、読めない手紙を運んで暮らしている。
面白い、と思った。生まれて初めて、理由もなく面白いと思った。
けれど魔道具修理工の父は、優しく笑ってこう言う。「そんなことより、写しを覚えろ。お前は食っていける」。悪意はない。愛情だ。だからこそ、うまく返せない。
そんな俺の話を、雨上がりの川辺で、ただ一人だけ否定しなかった少女がいた。ピンク色の髪をした、ハーフエルフの女の子。
最強にはなれない。近道も知らない。
これは、好きなものを好きだと言えるようになるまでの、遠回りの記録。