あらすじ

帝国を大陸随一の大国へと押し上げた天才皇太子、シリウス・フォン・グランツ。 飢饉を退け、多宗教が共存する法を編み、亜人にも市民権を保障した若き名君は、戴冠式の前夜、古代遺物『忘却の聖杯』によって存在そのものを世界から剪定された。 彼が築いた法典も、水路も、愛した婚約者の記憶さえも、白い光の向こうに消えた。 実行したのは、全面戦争を避けたい叔父と、利権を守りたい大司教。 ――どちらも、自分こそが国を救うのだと本気で信じていた。 だが、名も身分も失った彼は、復讐を選ばなかった。 二人の事情を理解できてしまったからだ。理解できてしまうというのは、時として最も残酷な才能だった。 彼は下町の細工師として時計を直し、子どもの熱を下げ、三十五年ぶんの呼吸を静かに重ね、誰にも看取られずに死んだ。 それから十五年。記憶を消されたあの夜から数えれば、五十年。 彼は、帝都の裏通りに住む十五歳の少年ルークとして目を覚ます。 前世の記憶も、法典も、暗号も、帝国全土に仕込んだ仕掛けも、すべて頭の中に残したまま。 けれど彼は、玉座を取り返しに行かない。 行きたいのは、誰の法も届かない地図の外だ。 果たしたいのは、七十二歳の老騎士になった元婚約者に、温かい茶を一杯淹れることだけだ。 ――ただし、世界のほうが彼を放っておかない。 神聖魔法の効かない獣。魔物の体内から出てくる見知らぬ金属。海の向こうから来るという鉄の船。 亜人を追放した五十年のツケが、いま静かに牙を剥こうとしていた。 これは、悪人のいない物語である。 誰もが正しく、誰もが必死で、それでも噛み合わなかった正義たちの物語である。 世界は果てしなく広く、公益も持たない未知を抱えている。 ならば一人のちっぽけな冒険者として、その広さを足の裏で確かめに行くとしよう。

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カクヨム
カクヨム2026/09/09
  • 現在の作品七十二歳になった婚約者に、温かい茶を一杯淹れたい ~戴冠前夜、世界のすべての記憶から消された皇太子は、五十年後に少年冒険者として目を覚ます~