あらすじ
「僕のことは忘れてくれ。君なら、新しい相手などすぐ見つかる」
夜会の控えの間で、婚約者のレオポルト様はそう言った。腕には男爵令嬢が絡みついている。
私はマティルデ、伯爵家の娘で二十歳。
「承知しました。では、忘れます」
その足で広間へ戻り、王弟殿下にご挨拶した。三年前の初対面から、私の名を一度も間違えなかった方だ。
そこへレオポルト様が追ってきた。
「初めまして。どちら様でしょう?」
「僕だ! レオポルトだ!」
「レオポルト様、初めまして。マティルデと申します」
殿下が笑いをこらえ、祖母が扇の陰で「わたくしも忘れましたわ、そのお家の名」と仰った。
翌週の観劇でも、園遊会でも、侯爵家の晩餐でも。お会いするたび、私は初めましてと申し上げる。忘れてくれ、と仰ったのはあの方だ。
そのうち王都中が真似を始め、男爵令嬢は「どうして彼女に覚えていてほしいの!」と叫び、侯爵夫人は「息子のことなら私も忘れたいわ」と茶を勧めてくださった。
五度目の夜、殿下が言った。
「私のことは、忘れないでくれ」
「殿下のことは、一生忘れません」