あらすじ
――なぜ、「その先」を書くのか。
『自己決定支援の再設計──DPLS / S-DPLS 提案書』を公開しました。
しかし、私にとって、あの提案書を公開したことは「終わり」ではありません。
むしろ、ここからが始まりです。
この提案は、突然思いついた制度案ではありません。
これまで書いてきた、
『モジャ公の学校と、現実の支援施設のあいだで』
『自立支援施設への提案書』
『感動は悪なのか――24時間テレビとバリバラ、その先にある「本人の声」とDPLS / S-DPLS』
そして、
『「12番目の雨の日」の記憶:ヒロキの物語』
『家族旅行とポケモン金銀の思い出』
『国立小学校への違和感と、モジャ公が教えてくれた未来』
『ヒロキの記憶 ― 孤独と自由の三部作』
『“勝ち方”を間違えた者の末路──勝負師の哲学と転売の未来』
『家族旅行とポケモン金銀の思い出 ~25年後につながった、あの日の記憶~』
など、自分がこれまで考え、書き、振り返ってきたことの延長線上にあります。
音楽。
家族。
ゲーム。
子どもの頃の記憶。
学校への違和感。
そして、人が誰かを「こういう人だ」と決めつけてしまうことへの違和感。
一見すると別々に見えるものが、私の中では、
「人は、自分の人生を自分で決められているのだろうか」
という問いにつながっていきました。
その問いを、制度という形にまで掘り下げたものがDPLS / S-DPLSです。
DPLSは、障がいのある人を中心とした自己決定支援の基本モデル。
S-DPLSは、その考え方を子ども・若者などが自己決定のプロセスを学ぶ場へ発展させるモデルです。
もちろん、自己決定とは「何をしてもいい」という意味ではありません。
法律を守る。
他者の権利を守る。
安全を確保する。
必要なルールを設ける。
役割と責任を明確にする。
そのうえで、本人の意思を中心に置く。
また、本人が「決めない」「保留する」「中止する」「考えを変える」という選択も、自己決定の一部として扱う。
そのためには、理念だけでは足りません。
記録が必要です。
評価が必要です。
第三者による検証も必要です。
そして、制度そのものを修正できる仕組みが必要です。
だからこそ、私は以前に作った「生活自己決定型支援モデル(LSDS)」を削除せず、そのまま残しています。
これは、過去の案が「間違いだったから消す」という考え方を取らないためです。
考える。
作る。
使う。
問題を見つける。
修正する。
その過程そのものを記録する。
それもまた、自己決定支援を考えるうえで大切なことだと思っています。
DPLS / S-DPLSも完成品ではありません。
私一人で完成させるものでもありません。
だから、公開します。
当事者。
家族。
支援者。
専門職。
研究者。
行政。
そして、制度を利用する可能性のあるすべての人へ。
「この制度を、一緒に考えてみませんか」
と問いかけるために。
カクヨムに公開するのも、そのためです。
行政に提出して「以上」で終わらせるのではなく、
誰でも読める。
誰でも考えられる。
誰でも批判できる。
誰でも改善案を出せる。
そんな状態にしておきたい。
批判されることも、修正されることも、想定しています。
むしろ、それが必要だと思っています。
良い制度とは、最初から完璧な制度ではない。
使われ、検証され、問題が見つかり、改善され続ける制度なのではないか。
私はそう考えています。
この文章は、DPLS / S-DPLSの「後書き」ではありません。
「その先」を作るための文章です。
制度は、人を型にはめるためにあるのではない。
人が自分の人生を生きるために、制度がある。
その原点から、もう一度考えてみたい。
DPLS / S-DPLSは、そのための最初の一歩です。