あらすじ

セガについて振り返ると、筆者には任天堂やソニーのゲーム機ほど「みんなで集まってワイワイ遊んだ」という記憶がない。 しかし、考えてみればセガは決して「みんなで遊ぶ」のが苦手だったわけではない。アーケードでは人を集めることに強く、家庭用のセガサターンには最大10人で遊べる『サターンボンバーマン』まで存在した。 では、なぜ「友達が集まったら任天堂」という印象のほうが強く残ったのか。 筆者は、『マリオカート』『マリオパーティ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』など、ゲームそのものだけでなく、友達同士の会話や騒ぎまで楽しさになる任天堂のゲームを振り返る。そして、1990年代にはゲーム機を持っている子供の家が、友達が集まる小さなゲームセンターのようになっていたことにも触れる。 一方、セガの代表的なゲームには、最新技術への驚きや腕を磨いて勝負する楽しさが強くあった。さらに筆者自身も、セガのゲームを一人で夢中になり、「もう一回だけ」と遊び続け、気づけば外が暗くなっていたような時間を好んでいた。 ポケットモンスターの通信機能が「友達に会う理由」になったことや、ドリームキャストの『ファンタシースターオンライン』が世界中のプレイヤーとのつながりを目指したことにも触れ、任天堂とセガでは、人と人をつなぐ方向性そのものが少し違っていたのではないかと考える。 結論として、セガの弱点は「みんなで遊ぶゲームを作れなかったこと」ではない。むしろ、「みんなで遊ぶ」という価値を家庭用セガハードの代表的な文化として定着させることが、任天堂ほど上手くいかなかったのではないか。そして筆者にとってセガとは、みんなで騒ぐゲーム機というより、一人で夢中になり、「もう一回だけ」と続けてしまうゲーム機だった。

連載情報

ウェブ小説

配信言語
カクヨム
カクヨム2026/09/07
  • 現在の作品「セガは“みんなでわいわい遊ぶ”に弱かったのか」