あらすじ
市役所の窓口で、僕は番号札を取った。
番号は「殺人許可証」。
受付は三番窓口だった。
「お待たせしました」
呼ばれて、僕は椅子から立ち上がった。
「本日は殺人許可証の申請ですね?」
「はい」
「初回ですか?」
「初めてです」
「では、こちらの書類に必要事項をご記入ください」
渡された申請書には、いくつか奇妙な項目があった。
氏名。
住所。
職業。
殺害予定日。
殺害対象者。
殺害理由。
僕は最後の欄で手を止めた。
「理由って、どう書けばいいんですか?」
「具体的にお願いします」
「……嫌いだから、じゃ駄目ですか?」
受付の女性は笑顔で首を振った。
「審査に通りません」
「ですよね」
「『社会的損失が大きい』『本人の同意がある』『公共の利益に資する』などが望ましいです」
「ずいぶん物騒ですね」
「制度ですから」
彼女は笑った。
この国では、五年前から殺人が合法化されていた。
正確には、許可を取った殺人だけが合法になった。
無許可で人を殺せば重罪。
許可を取れば、行政手続き。
つまり、人を殺すにもマイナンバーカードが必要な時代になった。
僕は、それを便利だと思ってしまった自分が嫌だった。
*
「殺害対象者は?」
「上司です」
「理由は?」
「毎日、死ぬほど働かせるから」
「曖昧ですね」
「じゃあ、『長時間労働による精神的苦痛』」
「良いですね」
受付の女性が判子を押した。
「では、審査に二週間ほどかかります」
「二週間も?」
「殺人ですから」
「そりゃそうか」
「最近は申請が多くて」
「多いんですか?」
「昨年度だけで、全国で八十七万件」
「……」
「大丈夫ですよ」
「何がです?」
「あなたが異常なわけではありません」
そう言って、彼女は優しく笑った。
僕はますます怖くなった。
*
二週間後。
僕の家に封筒が届いた。
差出人は厚生労働省。
中には、一枚のカードが入っていた。
赤い文字で、
殺人許可証
と書いてある。
有効期限は三十日。
対象者は、
僕の上司。
裏面には、注意事項が並んでいた。
『許可証の第三者への譲渡は禁止』
『許可対象者以外の殺害は禁止』
『公共施設内での使用は禁止』
『使用後は速やかに返却してください』
まるで図書館のカードだった。
僕はカードを財布に入れた。
そして会社へ向かった。
*
「おはようございます」
上司は今日も元気だった。
「おう」
僕は財布の中のカードを触った。
これを使えば、
合法的に、
僕の人生を苦しめている人間を消せる。
なのに。
できなかった。
昼休みになっても。
午後になっても。
退社時間になっても。
僕は何もしなかった。
その日の夜。
上司から電話が来た。
「悪かったな」
「……何がです?」
「最近、お前に仕事を押し付けすぎてた」
僕は黙った。
「俺、来月で辞めるんだ」
「え?」
「田舎に帰る」
「どうして?」
「母親の介護だ」
僕は財布の中のカードを握った。
「……そうですか」
「だから、あと少しだけ頼む」
「はい」
電話を切った。
僕は殺人許可証を机の上に置いた。
赤いカードが、妙に馬鹿らしく見えた。
*
翌日。
僕は市役所へ行った。
「許可証を返却したいんですが」
「使用されましたか?」
「いえ」
「では、未使用ですね」
「はい」
「理由は?」
「必要なくなったので」
受付の女性はカードを受け取った。
「もったいないですね」
「え?」
「せっかく取ったのに」
「……そういうものですか?」
「皆さん、そうおっしゃいます」
彼女はカードを箱に入れた。
「では、こちらで破棄します」
僕は帰ろうとした。
そのときだった。
「ちょっと待ってください」
受付の女性が僕を呼び止めた。
「はい?」
「あなた、殺したい人はいますか?」
「……え?」
「一人も?」
「まあ……」
「珍しいですね」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「今の時代、誰もが一人くらいはいるものですよ」
*
数日後。
僕はテレビを見ていた。
ニュースキャスターが淡々と話している。
『政府は本日、殺人許可証制度の対象範囲を拡大すると発表しました』
『これまで対象外だった親族間の殺人についても、一定条件のもとで許可される見通しです』
『また、企業間の競争力向上を目的とした法人向け殺人許可証の導入も検討されています』
僕はテレビを消した。
嫌な国になった。
そう思った。
でも翌朝。
僕は駅で、一枚のポスターを見つけた。
大きな赤い文字。
「あなたの殺意、正しく申請していますか?」
その下に、
殺人許可証 オンライン申請受付中
と書かれている。
僕はため息をついた。
そのとき、後ろから声がした。
「お兄さん」
振り返る。
知らない老人だった。
「はい?」
「殺したい人、いるかい?」
「……いませんよ」
「本当に?」
「はい」
老人は笑った。
「それは羨ましい」
そして、僕の手に小さな紙を握らせた。
広告だった。
『殺人許可証・更新キャンペーン』
『今なら二人目の申請が半額!』
僕は紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
すると、
「捨てないでください」
駅員が飛んできた。
「燃えるゴミです」
「広告ですよ?」
「殺人許可証関連の広告は、重要書類です」
「……なんで?」
「政府広報ですから」
僕は何も言えなかった。
*
それから十年が経った。
僕は結婚した。
子どもも生まれた。
上司だった男から、たまに田舎の野菜が届く。
僕はあの日のことを、ときどき思い出した。
もし、あの許可証を使っていたら。
もし、あと一歩だけ憎しみに踏み込んでいたら。
僕の人生は、まったく違うものになっていた。
ある日。
息子が学校から帰ってきた。
「パパ」
「ん?」
「これ何?」
息子が財布からカードを取り出した。
赤いカード。
見覚えがある。
僕は凍りついた。
「……どこで拾った?」
「学校でもらった」
「学校?」
「うん」
裏を見る。
そこには、
児童向け殺人許可証教育カード
と書かれていた。
「何これ……」
息子は笑った。
「先生が言ってた」
「なんて?」
「嫌いな人がいたら、我慢しちゃいけないんだって」
僕は立ち上がった。
「学校に電話する」
「なんで?」
「これはおかしい」
息子は不思議そうな顔をした。
そのとき。
テレビからニュースが流れた。
『政府は本日、殺人許可証制度の廃止を発表しました』
僕は息を呑んだ。
『制度開始から十五年。殺人件数の減少、社会的コストの増大、そして――』
キャスターが続ける。
『国民の倫理観の回復を受け、制度は本日をもって終了します』
僕は息子を見た。
息子もテレビを見ていた。
「よかった……」
僕は呟いた。
ところが。
画面が切り替わった。
『なお、来年度より新制度として――』
僕は嫌な予感がした。
『「殺人税制」の導入が決定しました』
「…………」
『殺人を希望する国民には、許可証の代わりに一件につき五百万円の税金を課し、その税収を社会福祉に還元します』
息子が聞いた。
「パパ」
「……なに?」
「殺人って、お金かかるんだね」
「そうだな」
「じゃあ、お金持ちしかできないね」
僕はしばらく黙っていた。
そしてテレビの電源を切った。
「……そういうことじゃない」
息子の頭を撫でる。
「人を殺しちゃいけないのは、お金の問題じゃない」
「じゃあ、何?」
僕は答えられなかった。
その夜。
政府のホームページを開いた。
新制度の説明ページ。
そこには、最後に小さくこう書いてあった。
『殺人税は、国民の生命に対する公平な負担を実現するための制度です。』
僕は笑った。
乾いた笑いだった。
「公平、ね……」
その瞬間、スマートフォンが鳴った。
知らない番号だった。
「もしもし?」
『おめでとうございます』
「……はい?」
『あなたは、抽選で選ばれました』
「何の?」
『殺人税・免除対象者です』
「……」
『あなたには、年間三件まで、無税で殺人する権利が与えられます』
僕は電話を切った。
しばらく何も言えなかった。
そして思った。
この国は、
人を殺すことを禁止する方法を、
まだ知らないらしい。
ただ――
どうすれば人を殺さなくて済むかを考えるより、どうすれば人を殺す制度を上手に運用できるかを考えるほうが、ずっと得意なのだ。
翌朝。
僕は息子と学校へ向かった。
途中、ゴミ箱の横に赤いカードが落ちていた。
拾い上げる。
表には、
殺人許可証
裏には、新しい文字。
「制度は終了しました」
そして、その下に手書きで一言。
「だから、もう誰も許可を待たなくていい。」
僕はカードを破り捨てた。
息子が聞いた。
「何だったの?」
僕は笑った。
「昔の、馬鹿げた制度だよ」
「どんな?」
僕は少し考えてから答えた。
「人を大切にすることを、許可制にしようとしたんだ」
息子は首を傾げた。
「変なの」
「そうだな」
僕たちは歩き出した。
朝の街には、いつものように人がいた。
誰も許可証なんて持っていない。
それでも誰も、
誰かを殺す必要なんてなかった。
――少なくとも、僕はそう信じたかった。