あらすじ
右目を負傷した事故の示談金が振り込まれた日、僕より喜んでいたのは美咲たちだった。
美咲と義母の芳江さん、それに義妹の奈々は、テーブルいっぱいに不動産会社の資料を広げ、蓮が開くカフェレストランの物件を選んでいた。誰ひとり、僕の右目の具合については聞かなかった。
「駅西口の角にある店でいいんじゃない? あそこが一番目立つし」
芳江さんはすぐに頷いた。
「少し高い分は、悠真のところから出せるでしょう? 蓮だって一人で店を始めるんだから、みんなで少しくらい助けてあげないと」
僕はその場に立ったまま、しばらく何も言えなかった。
その金は、事故で傷めた右目の治療と、仕事を休むあいだの生活のために残しておくはずだったものだ。
「それを店に使ったら、右目の治療が続けられなくなる」
ようやく美咲が顔を上げた。けれど、その目に浮かんでいたのは心配ではなく、露骨な苛立ちだった。
「片目が見えにくくても、厨房の仕事まで全部できなくなるわけじゃないでしょ。蓮はこれから店に立って、お客さんの前に出るんだよ。悠真、こういう時くらい何が大事か考えてよ」
もう言い返す気にはなれなかった。
結婚して二年あまり。僕はその瞬間になって、ようやく分かった。
美咲にとって僕の片目は、蓮が店を格好よく始めることよりも軽い。
だったら、もうこの家に残る理由もなかった。