あらすじ

応仁の乱前夜、雅やかな花の御所の奥に、ひとりの女房がいた。名は藤子。公家・山科教言の娘として生まれ、和歌を詠み、朝廷の雑事を記す穏やかな日々を送っていたはずだった。だが彼女には、決して消えない傷があった。母・葵は、かつて将軍・足利義満の愛妾として差し出され、その無体な仕打ちに心を病み、藤子がまだ七歳の時、桜の木の下で自ら命を絶ったのだ。「鬼の手に落ちるな」――母が遺したその言葉は、藤子の胸に呪いのように刻まれていた。  ある夜、藤子は将軍・足利義教の使者、武士・直継によって花の御所から連れ去られる。父は娘を守るどころか、「家のためだ」と目を伏せるだけだった。義教の邸で藤子を待っていたのは、母を壊した鬼と同じ血を引く男の、冷酷な支配だった。夜ごと呼びつけられては尊厳を踏みにじられ、藤子の心は少しずつ死んでいく。鏡に映る自分の顔さえ、もはや誰のものかわからなくなっていった。  だが、絶望の底で、藤子は一人の男に出会う。義教の忠実な家臣でありながら、彼女にだけは違う目を向ける直継。「俺にはお前をただの道具とは思えん」――その一言が、凍りついた藤子の心に、小さな灯をともす。月の光の下、二人は主君への忠義と禁じられた想いの狭間で、束の間の自由を分かち合う。しかしその幸福は長くは続かない。裏切りは露見し、藤子は義教の怒りの前で、これまで以上の屈辱と暴力にさらされることになる。愛した男は目の前で折檻され、姿を消す。  鎖に繋がれ、希望を失った藤子に残されたのは、直継が遺した小さな木彫りの菫だけだった。応仁の乱の足音が京に忍び寄る中、藤子はついに、生きるか死ぬかの賭けに出る――邸の裏門を破り、闇に紛れて逃げ出すのだ。  これは、権力に踏みにじられながらも、愛した一瞬だけは確かに自由だったと語る、ひとりの女の魂の記録である。室町の宮廷という華やかで残酷な舞台で紡がれる、屈辱と愛、そして再生の物語。

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カクヨム
カクヨム2026/08/16
  • 現在の作品「月下の裏切り」応仁の乱前夜、公家の娘が将軍の閨に囚われて。母を狂わせた血の記憶、忠臣との禁じられた逢瀬、そして自由を求めて京を捨てる女の哀しき生涯を描く、室町宮廷秘史。