あらすじ
火事で家と父を失って、持ち出せたのは父の道具箱から抜いた目打ち一本だけでした。
逃げる途中、父が昼間に挿げてくれた緒が切れて、わたしは片方だけ脱げた足で走りました。焦げて縮んだ前坪は、今も懐に入れてあります。
ひと月ほど町をさまよったあと、古い草履屋の婆さまに拾われました。婆さまは身の上を一度も聞きません。飯を出して、奥の三畳を貸して、「好きにおし」とだけ言います。
店先には十年ぶんの売れ残りが並んでいて、緒はどれも固い。婆さまは目が霞んで挿げられません。
わたしは店じゅうの草履に手を出さず、毎朝ひと足だけ緒を挿げ直して、店先のいちばん端へ置いて奥へ引きます。呼び込みはしません。選ぶのは履く人の仕事だからです。
ひと足なら、切れても一人しか困らせない。——わたしの挿げた緒は、いつか切れます。そう思っているからです。
ある朝、端に置いた一足がありませんでした。銭箱に二十四文だけ増えています。翌朝は二足。半月で店先が空きました。
誰も裁かれず、誰も落ちません。店先が空いた朝、婆さまが言います。「ここにいなさい」。
わたしは荷をまとめる手を止めて、その場に座りました。