あらすじ
「飴なんぞ、煮て引けば同じだ」——若旦那がそう申しましたので、わたくしは木型を返すことにいたしました。
飴の口当たりは、煮る温度では決まりません。引く回数と、その日の湿りで決まります。雨の前日は空気が重いので引きを三度足す。風の日は逆に減らす。朝一番の釜と昼の釜では冷ましの早さが違う。柱に貼れるのは釜の温度と引きの回数だけで、その日の読みは全部この頭の中にございました。
十一年ぶんの働きは、入って半月の若い衆と同じ一行に並べられました。手控えの天気の欄は要らないと言われ、柱には引き数が貼り出されました。左様でございますね。わたくしがいなくても、お店は回ります。
では、木型は返してまいります。釜も竿も壊しも持ち出しもいたしません。やめるのは、引きを足すことだけ。
冬から春は乾いております。誰が引いても同じに仕上がります。「ほら、変わらない」と若い衆は申しました。変わらないことが、いちばん怖い時間でございます。
梅雨から夏へ入った日、同じ火加減で同じ回数引いた飴が、包み紙の中で角を失いました。誰も怒鳴りません。次の月から、卸の注文が来なくなるだけでございます。
自分の名の釜を持ったわたくしの前で「戻ってくれ」と仰った若旦那へ、あの一句をそのままお返しするお話。