あらすじ
「この宿に泊まった占い師は、鑑定が変わるらしい」
そんな噂に導かれ、新月の夜、タロット占い師の水瀬は山奥の小さな宿を訪れる。
宿の主人は穏やかで親切だが、どれほど見つめても、その心には感情の揺れが見えない。客を歓迎しながらも何かを教えようとはせず、ただ目の前のものを見つめ、必要な時が来るまで静かに待っている。
焼きたての林檎のパイ、囲炉裏で焼かれた岩魚、手間をかけて作られた栗の渋皮煮。宿で過ごすうち、水瀬は主人の「急がず、ただ見る」という不思議な在り方に触れていく。
その頃、水瀬は一人の男性客を救おうとしていた。けれど、どれほど正しい言葉を伝えても、彼の心には届かない。
なぜ、この人は変わろうとしないのか。
焦りを募らせた水瀬は、宿の奥にある「声を聴くための部屋」へ足を踏み入れる。そこで聞いたのは、特別な存在からの啓示ではなく、これまで見ないようにしてきた自分自身の声だった。
人を助けたいという思いに、何が混じっていたのか。
救いたかったのは、本当は誰だったのか。
これは、特別な力を得るために宿を訪れた占い師が、答えを与えることを手放し、相手の言葉を待つことを覚えていく物語。
山奥の不思議な宿を舞台に、人の心と、見えない存在の声を静かに描く連作小説。