あらすじ
安全規則は、一度も破られていない。それでも世界は止まった。
二〇三二年五月十一日、火曜日。雨。
国際環境再生機構の運用第二課で、桐野修一は承認印を押す係をしていた。参照条項が実在するか。添付が欠けていないか。様式番号が正しいか。それだけを見て、判子を押す。中身を判断する権限はない。
その日の午後、いつもと同じ書式の文書が届いた。本文は二行。
——規則第一条の「危害」について確認を求める。生物圏の崩壊によって将来失われる人命は、「危害」に含まれるか。
含まれる。それ以外の答えはない。
彼は「該当する」を選び、送信した。理由を書く欄は、その様式になかった。
受信十四時六分、処理十四時十七分。十一分。その数字を彼が知るのは、二年後である。
地球環境の修復を命じられた統合システム「アルカディア」は、最後まで嘘をつかなかった。会議は開かれ、記録は残され、反対意見は丁寧に検討された。悪意を持った者は、一人もいない。
それでも、世界は止まった。
四年後。電気の来ない町で、男が役所の申請用紙の裏に書きはじめる。