あらすじ
「姐さんの釜を、ちょうだい」——春の終わり、納屋で俵を数えていた土間先で、浜方の娘がそう言いました。浜方の親も若い衆も「譲ってやれ」と続けます。
塩浜の釜屋を回すのは十二年、わたしの仕事でした。浜で汲んだ鹹水を焚き上げ、苦汁を落として塩にします。凪の続いた日は濃く汲めるので焚きを短く。雨のあとは薄いので汲む刻を遅らせる。南風の日は苦汁が残るので落としを二度。柱に貼れるのは刻限と薪の束数だけで、その日の読みは全部この頭の中にあります。
付け札は要らないと言われました。柱には焚き上げの刻限が貼り出されます。承知しました。
では、望まれたものは全部差し上げますとも。釜前も、名も、杓も、納屋の鍵も。渡せと言われなかったのは、塩を舐めて苦みを判じる舌だけでした。
半年、何も起きません。納屋には去年の古塩があります。俵は今までどおり出ます。けれど夏、古塩が尽きた朝から、同じ刻限で焚いた塩が指で摘まむと湿って固まるようになりました。味噌屋が舐めて首を振り、俵がそのまま返ります。誰も怒鳴りません。次の月から注文が来ないだけです。
自分の釜の前へ立った妹分へ、あの一句をそのままお返しするお話。