あらすじ
調剤薬局に勤める薬剤師・如月環には、患者を見捨てられない性分があった。ある日を境に、常連患者・氷見野 蒼の「完璧すぎる親切さ」が、静かに環の日常を侵食し始める。捨てたはずの私物が几帳面に加工されて送り返され、警察に相談しても「実害がない」とあしらわれる。薬剤師には、正当な理由なく患者を拒めない「応召義務」がある——制度そのものが、逃げ場のない牢獄になっていく。
大雪の夜、停電した薬局で環はすべてを失い、壊れる。次の瞬間、環の意識は数週間前へと巻き戻っていた。
やり直せるはずだった。だが、逃げようとするほど新しい災厄が生まれ、周囲を先回りしてコントロールするうち、環は自分の指先が、あの男と同じリズムを刻んでいることに気づいてしまう——守りたかっただけなのに、いつのまにか、誰かを支配することに悦びを覚えている自分に。
勝つことでは、もう解放されない。環が選んだのは、すべてを捨てて「敗走」すること。蒼は捕まらないまま、また次の獲物に微笑みかける。それでも環は、自分自身を縛っていた「完璧でなければ」という鎖からだけは、静かに解き放たれる。
これは、薬で人を救う仕事についた女性が、正しくあろうとするほど怪物に近づいていく、じわじわとした恐怖の物語。